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しんぶん赤旗 2018.6.15

まつやまふみお研究会
復刻された発禁冊子で業績をふりかえる

 戦前からプロレタリア美術運動に参加し、戦後も没年の1982年まで本紙に政治漫画を描き続けた画家・漫画家まつやまふみお(1902-82年)の業績を顕彰する第7回まつやまふみお研究会が10日、東京・文京区の日本美術会アトリエで開かれました。
 漫画評論家の石子順さんが、1931年の出版直後に発禁処分となり押収されたガリ版刷りの幻のパンフレット『ハンセンエホン 誰のために』(日本プロレタリア美術家同盟編、まつやまふみお画)と、当時の時代状況について、このほど完成した復刻版を手に解説しました。復刻版はまつやまふみおの息子の松山しんさくさんの所蔵資料をもとに、国立国会図書館のデジタル化資料も参照して復元されたものです。
 石子さんは、弾圧を予期した関係者が事前に少しでも広めようと印刷を早めたものの、すぐに官憲の手が入ってほとんどが押収された経緯を紹介し、「当局が目を光らせるほど、すごい内容だったということです」と指摘。まつやまは自分が29歳のときの『ハンセンエホン』制作で独自の画風を確立したのではないかと述べ、満州事変が起る直前に戦争の危機と本質を告発する同書が出た意義を強調しました。
 全国民をからめとる総動員の網の目を巨大クモの糸として描いた「国家総動員演習」、国民に銃を向けることもためらわない政府の本質を銃剣と一体化した奇抜な髪型の男の姿で表現した「××(銃剣)をもって」など、『ハンセエホン』所収作品のみどころを一つひとつ解説。時代を的確に表現する「風刺力」、権力者もユーモラスに描く「優しさ」を備えていたことがまつやま作品の特質だと語りました。
 いわさきちひろ研究者の宮下美砂子さんが、ちひろとまつやまふみおの接点を紹介しました。
 宮下さんは、▽戦前、まつやまも作品を描いていた童画雑誌『コドモノク』を少女期のちひろが愛読▽戦後、まつやまが日本共産党宣伝部芸術学校で教鞭をとっていた時期に、ちひろが同校に入学▽ともに日本美術会とアンデンダン展に参加-など多くの接点があったことを指摘。やがて油彩画をやめ水彩画による印刷美術に専念していくひろの模索における、まつやまの影響について考察しました。
復刻版の問い合わせは、まつやまふみお研究会 042(636)7228松山方

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